七日参り法話集
二七日 釈迦如来
二七日~三七日にかけて守護する仏様は釈迦如来さまです。
お釈迦様は実在した人物で、人として八人目に悟りを開かれました。
お釈迦様の教えは色々あり、八万四千の法門があると言われています。
代表的な教えに「因果」という考え方が有るのでご説明します。
物事には必ず原因となる「因」があり、その結果の「果」があります。
善因善果・悪因悪果の事です。
ごく簡単に言いますと、苗を植えて(因)稲穂が実るという事です。(果)
しかしながら、「因」と「果」の間には「縁」(えん)があるのです。
「縁」(えん)の意味とは、、、「袖触れ合うも多生の縁」の縁
「縁もゆかりも無い」の縁 悪縁などの縁
これが「因」→「縁」→「果」になるわけです。
良い縁を結ぶことが、結果である果を変えることにつながります。
先ほどの農家さんがお米をそだてることを考えてみましょう。
苗を植えて、稲穂が実るまで、太陽に照らされたり、雨が降ったりと他からの影響があります。これを「縁」(えん)と言い、太陽が照りすぎ干ばつになれば枯れてしまいます。雨がづーっと降り続いたら、稲も腐ります。
適当に日に照らされたり、適当に水をやらないと良い結果は得られません。
ですから、良い縁を結ぶことが大切なのです。
良い縁を結び続けることが、すべてを良い方向へと向かわせる方法なのです。
「手の平いっぱいの塩」
ある時、お釈迦様の弟子はとある政治家をみて言いました。
「あの政治家は裏で悪いことばかりしているのに裕福な生活をしています。
悪いことをしているのに、その報いは受けていません、何故なのでしょうか?」
お釈迦様は言いました。
「ここに手の平いっぱいの塩があるとしよう、この塩をそのコップにいれて水で薄めたら、その水は飲めますか?」
弟子「塩辛くて飲めません」
お釈迦様「では、この塩をガンジス川に入れたら、その川の水は飲めますか?」
弟子「飲めます」
お釈迦様「そう そのとりだ、その政治家は前世に於いて多くの良い行いを行って来た、そのおかげで、悪いことをしていても今は裕福な生活ができているだけだ」と。
皆さんいかがですか?
ここでの水は多くの良い行いです。 良い行い、善行をこころがけましょう。
三七日 文殊菩薩
三七日から四七日にかけて守護する仏様は文殊菩薩さまです。
「三人寄れば文殊の知恵」「文殊の利剣は諸戯を断つ」という言葉がありますとおり智慧の仏様です。(持っている剣は智恵を表す)
佛教では「三毒」「貪・瞋・痴」と言う事柄があります、これは仏教信徒や信じる方がやってはいけない行為の事で、自らが毒を飲んでいる行為と言う意味です。
一番目は「貪(とん)」「むさぼり」と言いまして普通以上にものを欲しがる事です。
動物的な欲求。あれ欲しい、これ欲しい、がっぱになる事。(方言)
二番目は「瞋(じん)」怒る事、キレる事、暴言を吐く事。感情をぶちまけること。
三番目は「痴」(ち)知らない事、無知であること。悪口・愚痴
※最近は「無知の知」と言って知らないことを知っていると自慢する人がいますが、
大きな考え間違いをしています。知らなければ、知ろうという行動が抜けているからです。知らなければ誰かが教えてくれると思うのが間違えで、今の世の中、しらなければ「ググって」下さい。それでも理解できないなら、素直に教えてもらえばよいと思います。そういった姿勢が必要です。
よく、大きな事故を起こす人がいますが、その言い訳は「知らなかった」「わからなかった」です。
動物のように欲にまかせてむさぼったり、感情のままに暴言を吐いたり、常識知らずで愚かであったり、が三毒の行為です。
さて、お勤めの最初の所で
「我昔所造諸悪業 皆由始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懴悔」とあります。この意味は、私は過去に諸々の悪い行いをしました、それは貪り=果てのない欲、瞋り=キレる・怒る事、痴=無知・愚かさであります。身と口と心から生じた行為・行動を今、反省し懺悔いたします。と言う意味です。
人は誰しも社会生活をし、生きて行く上で故意であったり過失であったり、様々な何らかの罪を犯す生き物です。極端な例では「不殺生」=命あるものを殺さないことは1日として守ることは出来ません。何故なら私達は毎日、鶏や豚・牛、お野菜や木の実など何らかの命を頂いているからこそ身体を維持できるからです。
「ダライ・ラマ」曰く、大切な事は自分の犯した罪に気付く事、そして後悔の念を強く持つことです。後悔の念は煩悩を取り除く力になるからです。
お大師様・般若心経秘鍵
「夫れ仏法遙かに非ず心中にしてすなわち近し、身を捨てていずくんか求めん、迷悟我にあり、発心すれば即ち到る。・・・哀れなるかな哀れなるかな長眠の子、苦しいかな、痛いかな、狂酔の人、痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る」
四七日 普賢菩薩
普賞菩薩は、釈迦如来の慈悲行を象徴する仏として、智恵を受けもつ文殊菩薩とともに 釈迦如来の脇侍として配されることの多い仏です。普覧菩薩は、六波羅蜜(菩薩の修すべき六種の行)のうち、心の安定を修する行の禅定を つかさどる仏であるとされ、また、普賢菩薩の「普」は遍(あまねく)一切をさし、 「賢」は最妙の善をさすといわれ、一切にわたる最もすぐれた善を説く菩薩で、密教の大日如来 と徳を表現する金剛サッタと同体異名ともされています。
白い象は六本の牙を持っています。六本の意味は、仏様の智恵で六道輪廻(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を打ち破っていきましょうという現れです。
仏教では六波羅蜜と言いまして、仏教徒が実践しなければならない行動規範があります。
一、布施(ふせ) ○ほどこしをする。募金・ボランティアなど
二、持戒(じかい) ○戒を守る 不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語
不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見
三、忍辱(にんにく) ○耐え忍ぶこと
四、精進(しょうじん) ○努力すること
五、禅定(ぜんじょう) ○瞑想、お釈迦様が悟りを開く時に瞑想しました。
真言宗では阿字観という瞑想法があります。
六、知恵(ちえ) ○仏の智恵はひらめき・真理に向かう、正しい道を歩む
◆六種供養と◆六波羅蜜
一、お水=壇波羅蜜 水が、全てに恵を与えるように、他の為に自分の出来ることを惜しみなく尽くす。それが本当の布施です。
二、塗香=戒波羅蜜、持戒とは、体と言葉と心とを調え、人間らしくしっかり生きぬくことであり、良い香りを身体に着けます。
三、花=忍波羅蜜 苦しいことに耐えて歩む姿を花が教えてくれているのです。
四、焼香=精進波羅蜜 お線香は、一度火をつけたら、決して急がず、遅れることもなく、最後まで、燃え続きます。そのことから、精進を意味します。
五、飲食=襌那波羅蜜 飲食を供えるということは、襌定を意味します。心豊かな、安らぎの世界を表しています。何事にも動じない静かな心を何時も持ち、穏やかな心をたもてるように心掛けましょう。
六、燈明=般若波羅蜜 お燈明は、智慧を意味します仏さまの智慧(一點の曇りもなく偏く一切に光明を及ぼす)を、自分自身の心に灯し、暗きを照らし、真実の道を示す。
五七日 地藏菩薩
地藏菩薩様の真言は「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」と言います。
「カカカ」は笑い声です。
大変力の強い仏様ですので「全て笑いで吹き飛ばしてしまえ!」と言わんばかりです。
お大師様の聖語に
解脱の風吹くる所、悲願の力に従い、自在にして転じ 遍く一切に薫ず
身垢をバン字を大悲の乳水で洗い 心塵をカ字大願力の風にちらす。
とあります。
地藏菩薩様はお釈迦様のように自分の力で涅槃に入れますが、衆生を救う為にわざと六道に留まっています。
地藏菩薩様の種類は色々あり、子安地蔵・水子地蔵・汗かき地藏など地域により様々なお地蔵様が供養されています。
人が亡くなると七日毎に裁判が開かれます。
裁判官 秦広王 弁護士
不動明王
(
初七日)
初江王
釈迦如来
(二七日)
宋帝王
文殊菩薩
(三七日)
五官王
普賢菩薩
(四七日)
閻魔王
地蔵菩薩
(五七日)
変成王
弥勒菩薩
(六七日)
太山王
薬師如来
(七七日)
中でも有名なのが、五七に当たる裁判官はエンマ大王です。
弁護士の地蔵菩薩様が弁護して結審されずに次回の六七日へとその裁きが延期に
なります。
お地蔵様は右手に錫杖を持ち、シャン・シャンと音を立てて、私達が目覚める
ようにしてくれています。(煩悩だらけの私達に仏の教えを聞き発心するように)
そして、左手には如意宝珠と言う玉を持ち、衆生の願いを叶えてきくれます。
地蔵和讃には「地蔵すなわち遍照尊」とお地蔵さまはお大師様であるとしています。
六七日 弥勒菩薩
弥勒菩薩とは未来で仏様になると約束されている仏様で、お釈迦様が入滅後
56億7千万年後、地上に降り立ち、人々を救うと言われています。
現在は兜率天で修行中
◆大師の誓願
お大師様はご入定される前の萬灯萬華会の願文
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん」
◆お照の話・・・貧女の一灯 長者の万灯
「千代までも ゆく末をもつ みどり子を 今日しき すつる 袖ぞ悲しき」
◆大師宝号
お大師様がご入定になられてから八十六年目、延喜21年(921)年 醍醐天皇の夢枕に一人のお坊様がお立ちになり、
「高野山むすぶ庵に袖朽ちて 苔の下にぞ有明の月」
京都の東寺の長者、観賢僧正 天皇からの衣を持って高野山へ
弟子の淳祐(しゅんにゅう)とおつきの者、到着するも霧で見えなかった
懺悔のお経をお唱えすると徐々にお姿が現れたところ、髭や髪の毛が伸び放題、
観賢僧正はお大師様の髪をととのえ、髭を剃り、天皇から頂いた法衣をお着せしました。
しかし、弟子の淳祐はと言うと、まだ霧がかかったままで何も見えません。
そこで観賢僧正は淳祐を不便に思い、淳祐の手をとり、そっとお大師様のおひざに手をやると、するとどうでしょう、お大師様のお膝は温かったそうです。
そして淳祐のその手には何とも言えないおごそかな香りがしみこみ、一生消えることはなかったと言われております。
淳祐僧正は西国十三番札所、石山寺第三代座主としてお祀りされており、
その手て書いたお経は「香の聖教」として伝えられております。
その時、どこからともなく声が聞こえてきました。
私はお釈迦さまに会い、目の前で手に結ぶ印相と真言を伝授されました。今は他に比べようのない請願を起こして、遠く離れた異国に居ます。昼夜いつも万民を憐れみ、普賢菩薩の慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓いをよりどころにして住んでいます。肉身から雑念を取り去ってあかしを立て、弥勒菩薩がこの世に現れることを待っています。
(昼夜いつも万民を慈しみ、やがて弥勒菩薩がこの世に現れて、一人残さず衆生を救済しましょう。 生き年生きるもの全てが救われるのが、私の願いだ。)
七七日 薬師如来
薬師如来様は、十二の誓願を立てられ仏となられました。
日光菩薩・月光菩薩が脇におられます。
右手は施無畏印(手を衆生にむけて開く印)といい、人々の心から怖れ・苦しみを除きますという救いの印です。「手当て」しますと言うあらわれです。左手には「やっこ」と言う薬壺を持ち、どんな病気でも治る薬が入っていると言われています。
お薬師様には「瑠璃光浄土」と言われるお浄土があります。
有難い事には、四十九日にお薬師様の真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」をお唱えすればどこでも好きなお浄土に連れて行ってくれると言います。
お大師様の一番弟子 智泉大徳 享年三十七歳 達嚫文◆哀しい哉(かな)、哀しい哉(かな)、哀れが中の哀れなり。
悲しい哉、悲しい哉、悲しみが中の悲しみなり 夢夜の別れ、
不覚の涙に忍びず。哀れなる哉、哀れなる哉、また哀れなる哉。
悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉
◆阿字の子が 阿字のふるさと立出でて また立ち帰る 阿字のふるさと
まず、阿字観とは何ぞや?ということですが、簡単に説明すると
「瞑想」です。
瞑想により、大日如来(=宇宙)と一体になる宗教体験をすることです。
本来、修法(しゅほう)によってこの体験をするのですが、
「阿」(ア、あ)と言う音は、すべての始まりです。人間が生まれる時に赤ちゃんが発する声も「阿」、死ぬ時は「ウン」で死んでゆくと言われています。
お寺の門に仁王さまがいらっしゃいますが、こちらも「ア」「ウン」、神社の狛犬も「ア」「ウン」、
日本の50音も最初の文字は「あ」終わりは「ん」です。
「あ」は母音と言われています。
この音からすべてが始まるので母なる音なのです。
外国でも「ア」から始まる所があると聞いています。
それでは、覚鑁上人がお母さまに宛てた手紙の続きです。
(ここから先を読む時は、前回のブログを読んでから見て下さいねー)
手紙では、
「阿字は、これ諸字の母なり、阿字の真言が一切のダラニの字を生み出しています。阿字は一切の真言の親にございます。教え即ち、阿字より生まれ、一切のダラニでございます。
病気で大事(死にそう)にもなれば、苦しみが妨げられます。
病気の大事になれば、出入りする息を阿字にするのです。
(中略)
出る息に浄心を留めて、阿字の真言で満たされると思い、
如何にも、如何にも、他のことを考えることなく、ただ阿字の一法に心を止めて下さい。
頓證菩提(とんしょうぼだい=すぐさま成仏すること)の道にこれ以上はありません。
(中略)
これは、真言の極めたる習いでございます。秘密の事柄でございます。
もし、不信に思うならば、無間地獄に落ちます。
どうか、どうか信じて下さい。
息の出入りを観じることは、どのくらいの効果があると思いますか?
これは、自然法爾(宇宙、すべての世界)と我が身(自分)が一体となり、すべての仏土の中にあり、命が生まれ出入りする息なのです。
この息を休むことなく行えば、功徳が有ります。
阿字がこの上ないものと覚って下さい。
(中略)
詳しくは、お会いしてお話しします。
(省略)」
この後は、功徳の内容が書かれています。
続いて、息の出入りの仕方(呼吸法)について書かれ、最後に
「これは秘密の事柄です、(中略)大事なことと覚り、少しづつ観じて下さい、少し骨の折れる事かも知れませんが、功徳が得られます、阿字を観ずる功徳は大変有ります。秘密にしてくださいね、秘密にしてくださいね。」
※直訳と現代訳が混じりわかりにくいかも知れませんが、出来る限り訳しました。
(間違えてたらごめんなさい)
日乗山 西光寺 公昭